大貫伸樹の書物楽会

2006-01-30装丁探索其の百拾参(「製本探索特装本』)

shinju-oonuki20060130

『製本探索』消しゴム版画EX.LIBRIS(蔵書票)付き限定本88部発売開始! 

大貫伸樹『製本探索』(印刷学会出版部、2005年、普及版定価1800円+税)の消しゴム版画EX.LIBRIS(蔵書票)付き限定本88部をブログのみで発売することになりました。普及版と同じ価格で店頭に並べるのはやめて欲しいという版元からの注文や、書店に口座が無いので独自の定価設定で書店に依託でおいてもらうのが難しいことなどがあり、店頭販売をあきらめブログだけでの販売となりました。

『製本探索』(印刷学会出版部、2005年)消しゴム版画EX.LIBRIS(蔵書票)付きサイン入限定本88部 定価2500円(税込み)、送料当方負担。

 

ゴム版画のサイズはハガキの1/2で1色刷りです。写真下、左が「葛藤』、右が「ジェラシー」です。ご購入の時にいずれかを選択してください。

お申し込みはメールでお願い致します 

ご注文は,下記のアドレス「大貫」まで、メールでお申し込みください。

md9s-oonk@asahi-net.or.jp

お支払いは、商品発送の時に郵便振替口座番号を入れておきますので、商品到着後10日以内にご送金をお願いいたします。郵便振替手数料はご負担願います。


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2006-01-27装丁探索其の百拾貳(「実業界』)

shinju-oonuki20060127

広告までもが前衛美術風な「実業界」

 

表紙のモダンな挿絵に魅せられて『実業界』(実業界社、昭和4年)を数冊購入した。右上の写真は、掲載されていた広告だが、これがこうこくなの?と思わせるような、斬新?なデザインで、柳瀬正夢の「骸骨の舞跳」などを彷彿させる正に前衛的なデザインだ。

 

右下は『実業界』第39巻第1号(実業界社、昭和4年)の表紙。「TANOMURA」というモノグラムを見つけることが出来るが、目次に表紙装画の作家名は記されていない。アングルといい、パースの付いた人物画といい新しさを感じる表現で面白い。椅子のデザインもこの時代にしては、かなりモダンだ。

 

この冊子は、掲載されている広告が全体に綺麗で面白い。特に巻頭企画の「其儘使へる広告図案」は、封筒やレターヘッド(便せんのデザイン)などにもアールデコを取り入れていて、当時の時代感覚を読みとれるのが貴重である。

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2006-01-26装丁探索其の百拾壱(「shochikuza news』)

shinju-oonuki20060126

「shochikuza news』(松竹座、昭和5年)装丁者不明 

このパンフレットも印刷物のコラージュがあったり、ロゴタイプもモダンな創作文字(図案文字)が使われているなどなど、モノグラムは記されてないがデザインについてはかなり勉強しておりかなり出来る人物である事がうかがわれる。

 

山田伸吉は舞台意匠もやっていた

この冊子の巻頭ページに、写真下のような色っぽいイラスト付きの「ろしあのおどり」のプログラムが掲載されている。そして、この「舞台意匠」が山田伸吉と記載されている。まさかこのイラストも山田伸吉ではないだろうな? イラストのタッチが新しいよね。

 

背景制作「玉置清」となっており、この人物ももしかして表紙の製作に関わってくるかもしれないので、これいただき!(さんま風にメモ)

 

発行人がいろいろなのは?

さらに気になる人物名がある。発行兼印刷、編輯人 長 良平とあるが、毎号のように変っている。千葉吉造、蒲生重右衛門、首藤武等がくりかえしでてくるが、この他に、発行人・山名謙一、編輯人・大宰行道というのもある。

 

手元のある9冊だけに関しての話だけど、京都新京極松竹座は首藤武、大阪松竹座は千葉吉造、神戸松竹座は長良平と蒲生重右衛門になっている。

 

神戸松竹座の場合、蒲生重右衛門が発行人になっているのは、昭和2年12月、昭和3年5月で、長 良平は昭和3年9月、昭和5年7月で、この頃に、定年退職か何かで入れ替わったのだろう。

 

西村 美香さん、コメントをありがとう。 

気のきいた内容が書けずに申し訳ありません。今後もパンフレットを入手したら掲載していますので、時々はのぞいてみてください。西村さんは学者さんらしく「プレスアルト研究会にみる広告物収集とその意義について」という論文をお書きのようですね。ぜひ拝読させていただきたいです。

 

本棚を探してみたら西村さんの名前を見つけました。『モダニズム出版社の光芒─プラトン社の一九二〇年代』(淡交社、平成12年)の執筆者だったんですね。私は、プラトン社に関しても中途半端にしか調べていないので、もう少しプラトン社本が手に入ったら、こちらの本も多いに参考にさせていただきます。

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西村美香西村美香2006/01/28 19:59お返事ありがとうございます。いろいろ見ていただいて恐縮です。
松竹座ニュースの発行人は各劇場の支配人の名前になっています。表紙だけが共通で中身は各劇場の公演にあわせたものになっています。って、なんだかしつこくてすみません。

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2006-01-23装丁探索其の百拾(「shochikuza news』)

shinju-oonuki20060123

装丁家不明『SHOCHIKUZA NEWS』

 

誰が装丁したのかは分らないが、これも私の好みの装丁だ。いずれ装丁家名を解明できるときが来ると信じて、気長に集めようと思っています。こんな見事な装丁の作者が分らないなんて。前衛美術史が本格的に調べられるようになったら、絶対にまな板に乗せられる作品だと思っています。右上の作品の下には「maxim」との英文字があるが、作品のテーマかな?

 

明日は、名古屋の中京大学で「文字が演ずる書物の表情」と題する講演会をやってきます。いつもの書物の歴史の話ではないので、緊張して肩がこりこりです。

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2006-01-20装丁探索其の百九(山田伸吉装丁「shochikuza news』

shinju-oonuki20060120

山田伸吉装画『SHOCHIKUZA NEWS』6冊入手

 

ブログを更新している時間がないので、今日は画像だけしか、掲載できません。

2冊は「伸吉」のサインがはっきりとある。もう1冊は「takeshi」というサインがある。他の3冊にはサインが無く誰が描いたのかは分らない。山田一人ではなく、何人かで交替で描いていたようだ。この「takeshi」のサインも誰のサインだか全く見当がつかない。でもなぜか魅かれて購入してしまった。いいよね、モダンで。

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西村美香西村美香2006/01/25 03:27はじめまして西村と申します。山田伸吉に関する研究しております。道頓堀松竹座には相当数出入りの図案家がいたようです。

津野優津野優2006/01/26 13:47コメントをありがとうございます。shochikuza-newsに関しては林哲夫さんの著書に書いてあることくらいしか、知識はありませんが、これから取り組んでみようと思っております。昨日名古屋で「吉原治良展」をみてきましたが、主に関西で活躍していたらしく、今まで、東郷青児の本の装丁くらいしか知りませんでしたが、関西は前衛美術が盛んだったようですね。

西村美香西村美香2006/01/26 15:07本名存じ上げませんでした。出版学会にも参加されているのですね(当然でしょうね。失礼いたしました)。私も学会員です。今後ともよろしくお願いいたします。先生の書籍も幾冊かもっております。参考にさせていただいてます。吉原治良は西宮(兵庫)で大きな精油所を経営しておりました。小さな頃に「でっかい工場やな」と見た覚えがあります。芦屋美術博物館の方が研究されて研究論集出されています。拙論文の山田伸吉に関してのものは意匠学会からでております。もしよろしければお目を通してください。

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2006-01-18装丁探索其の百八(佐野繁次郎の装丁「たった一人の山』

shinju-oonuki20060118

つぶやきを表現した佐野繁次郎装丁『たった一人の山』 

杉浦康平が季刊『銀花』の表紙で、文字を使ってささやきや呼び込みを演じて見せたが、今度は佐野繁次郎がつぶやきを見せてくれた。写真下の浦松佐美太郎『たった一人の山』(文藝春秋新社、昭和33年4版)戦後版がその本。表紙は写真上右。 

戦後版は異装本か。 

写真上左は同じ浦松佐美太郎『たった一人の山』(文藝春秋社、昭和16年三版)戦前版であるが、装丁者名は無く見返しもグレーの和紙が使われているだけで、装丁としてはわざわざ取り上げるほどのものではない。

 

戦後に発行された『たった一人の山』の箱は真っ白なボール紙に、墨文字で表紙とややレイアウトは異なるが文字の大きさは同じ版下を使って、文字だけのデザインをしている。箱からとりだすと今度は漆のように光る真っ黒な人の肌模様の紙クロス(紙を使って表面加工した装丁用の特殊紙)を使っている。文字は金箔押である。

 

ここから既に山登りが始まり、扉を開けると写真下のように見開きにわたって、真っ黒な地に白抜きの大きな文字が並ぶ。この文章は本文117ページのものであるが、新たに36ポイントで組み直している。ちなみに本文は10ポイントで組んである。 

清刷を版下にして、白抜き文字でつぶやきを表現させている 

文章の内容は、昔見た山靴の絵を思い出しているシーンであるが、恐らく佐野は、山登りをしながら一人つぶやいているところをここで表現したのではないだろうか。

画家である佐野が、全く絵を使わず、更に多くの装丁を手書文字にしているのに、ここでは全て活字で組んで、清刷(きよずり)をとって版下にしている。佐野の手書きの文字では浦山のつぶやきは表現できないのか? 

手書文字の名手・佐野繁次郎が活字を使っての配慮とは 

単につぶやきというイメージを伝えるだけなら、手書きの文字でもよかったはずである。ここではどんな内容の事をつぶやいているのかをしっかりと伝える必要があったのではないだろうか。手書文字の名手があえて活字の文字を使った所に、この装丁の訴えようとしているポイントが隠されているのではないだろうか。

 

20年前に書かれたこの本は、その間に前掲の戦前版の他にも、昭和26年刊、河出書房市民文庫など、何度か書物になっている。いわば定番化された著者のメッセージは、しっかりとしたストイックで汎用性のある文字で組み上げ、いたずらに装丁者としての佐野の感性で新たなイメージを加えないようにとの配慮があったのではないだろうか。 

清刷タイトルは、手書きのタイトルから写植文字への橋渡し 

表紙や箱に用いた文字は、清刷の文字を拡大して版下にしたのだろう。文字のエッジのビリツキが肉眼ではっきり見て取れる。私がデザインをはじめた頃には既に写植も使われていたが、清刷を版下にするのもよく行われていた。杉浦康平が『銀花』の表紙で使っている文字も秀英明朝体という活字の文字を版下に使っている。 

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2006-01-16装丁探索其の百七(杉浦康平の装丁3「映像の原点』

shinju-oonuki20060116

写真のコラージュで目を表現

 

前日掲載した「朝日ジャーナル』裏面に見開きで下記のような写真が掲載されている。キャプションには「1.20センチメートル 2.1メートル 3.3メートル 4.10メートル ほど離れてみること。」とあり、距離を変えて見ることにより、送られるメッセージが徐々に変化していく様子に杉浦のメッセージが込められているように思える。

 

巨視的に見るのか、微視的に見るのかということであり、鳥の目とアリの目の論争などよく選挙になるが、まさにそんなことを視覚化したのだろう。

 

20センチメートルで見ると写真の一コマ一コマに映し出されている内容を読みとろうとして、全体はそんな写真の羅列にしか見えない。1メートル離れてみると一コマ一コマの写真、全体として何か黒っぽいグループと白っぽいグループがあることも見えてくる。3メートル離れてみると、ここの写真のデーターは読めなくなり、四角で描かれたモザイク模様のように見えてくる。更に10メートル離れてみると、1枚の顔をアップに写した写真にしか見えなくなる。

 

ここにもデザインの本質がメッセージとして込められている。デザイナーとしてのアイデンティティがあり、デザインにとって色や形等の構成の見事さは確かに重要な要素であるが、それよりも、デザイナーがどんなコンセプトを持ち、どんなメッセージを込めて作品を創作するのかが重要なことなのかを示しているかのような作品である。

 

まさに目から鱗のウンチクのある作品である。写真上は、確かミュンヘンかどこかの冬季オリンピックの切手に使われたものである。アイスホッケーのシルエットを漢字で構築している。

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2006-01-12装丁探索其の百七(杉浦康平の装丁2「東京国際版画ビエンナーレ展』

shinju-oonuki20060112

近視、乱視にやさしい装丁

 

私が学生の頃、杉浦康平さんの事務所でお手伝いをさせてもらっていたことがある。

その時に杉浦さん自身が、「私は乱視で近視だ」といっていたことがある。その頃に、焦点をぼかしたほうが見やすいデザインの話をしてくれた。朝日ジャーナルに発表した「マンピュータ」と題する、手書きの文字で描いた「目」の絵等がそれだ。

 

30年ほど前の、私がまだ学生だった頃に作ったスクラップブックをめくってみたら、「映像の原点1 Image of Image」が出てきたので、転載しよう。『朝日ジャーナル」(1971.8.13)に掲載されたものだ。

 

「MANPUTER GROUP」として、制作者名が杉浦康平+松岡正剛+中垣信夫+海保透+杉浦富美子とある。この手書きの文字は、故杉浦夫人富美子さんが「これ私が書いたのよ」と、学生だった私に自慢げに話してくれたたことがある。ロットリングを使って、時間をかけて書いたというようなことを話してくれたことがあった。

 

平仮名の部分は文章になっており、読むことが可能であるが、遠くから見て黒く見える所は、字画の多い漢字が並んでいるだけで、特に意味はなさそうである。ちなみに使われている漢字は、目、見、眼、鼻、眉、瞼、髭、額、面、人、黛、願、嗅、瞬、頬、巻などなど。ネットでは掲示できない旧字もある。

 

「東京国際版画ビエンナーレ展』図録の装丁もそのようなコンセプトで作られているのだろうか。決して視力がいいから見やすいという代物ではない。

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2006-01-10装丁探索其の百六(杉浦康平の装丁1「季刊銀花』)

shinju-oonuki20060110

季刊「銀花」表紙のタイポグラフィー

 

季刊「銀花」創刊号のウラ表紙には広告が掲載されていた。が、第五号からは、内容の延長としての記事がオモテ表紙を覆い、背へと侵略した。バウムクーヘンのように内容を表出させた表紙を演出するデザイナー杉浦康平の世界が、雑誌のドル箱ともいわれる広告を駆逐して、ウラ表紙までをも表紙の延長と化してしまったのだ。

 

ガマの油を彷彿させる、雄叫びとささやきの文字

 

「遠からんものは音にも聞け、近くにあらば目にも見よ」というガマの油の口上を表紙に表現したかのように、暴れ回る大きな秀英明朝体初号活字は遠くにいる人への叫び声であり、ルビに使う小さな活字は本を手に取る人へのささやき声である。写真は季刊「銀花」55号表紙(文化出版局、1983年)

 

地球規模での発想

 

「装丁は地球の表層化した部分のようなものである」という杉浦の装丁は、あたかも断層が地球の内部を表出するように、写真や文字など本の内容の一部を表紙に露出させる。斜めに傾いた文字組は地軸の傾きと同じ32.5度、あるいは、その半分だけかたむいている。本そのものが地球の構造物でもあり、地球上のものは、全て何らかの形で地軸の傾きの影響を受けていると主張する杉浦の装丁は、地球規模の広がり感じさせてくれる。(拙書『装丁探索』平凡社、2003年、より抜粋)

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2006-01-06装丁探索其の百五(粟津潔の装丁2「男色』)

shinju-oonuki20060106

文字の世界を求道する美の冒険者・粟津潔

 

「私たちのグラフィックデザインの世界では活字を使ったり、書道とはちがった書き文字、レタリングというものを使います。私はこのレタリングを書くとき竹を自分で削って、竹筆とでもいいましょうか、そういうものを使って書くことにしています。」(粟津潔『粟津潔デザイン図絵』(田畑書店、1970年)

これが竹筆で描いた文字をつかった装丁か『男色」

 

「はじめは書きにくい気がしますが、二回三回と書いているうちに とても書きよくなって 上等の筆で書いた文字とは違った、おもしろい線がでてくるのです。この竹の筆で年賀状を書いたりしたら 字が楽しく書けるし、生活がとても楽しくなるとおもいます」(前掲)写真上、水上勉『男色』(中央公論社、昭和45年再版)は丁度この文章を書いていた頃の装丁なので、これが竹筆の文字に違いない。

 

判子に魅せられた粟津 

 

「私の仕事の事で恐縮ですが活字をザラザラの紙の上に 判こを押すのとおなじように押して それを二百倍位に拡大したものであるホテルの壁を飾った事があります。墨のつきぐあいで書いた世界ともちがう 印刷した世界とも違う 変った世界ができるのです。」と、手書きの文字でも、印刷を使った文字でも「デザインとは、開いてはいけない箱の扉をつぎつぎと開き、あばきだしていくことである。」(前掲)という粟津は、常に新たな表現に挑む事を楽しんでいる美の冒険者である。

 

写真下、長谷川龍生『長谷川龍生詩集』(思潮社、1967年第一刷)の装画は、ホテルの壁に使ったものではないが、同様の手法で「念」「象」「の」等の活字を使って判子のようにペタペタと押して作ったものと思われる。

 

「美と機能とが合目的に1つのものであるのは幻想にすぎない。美と機能はたえず相反する関係にあって、時にはきわめて激しい対立として存在するものであり、同時に優れていればいるほどに、際立って衝突することである。……デザインの表現は、もともと自由なものである。ある種の共通(歴史の言葉)や掟や理(ことわり)があっても、たえず自由な発想を基点としてかんがえるものであろう。」(前掲)けだし名言である。

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2006-01-05装丁探索其の百四(粟津潔の装丁「死者の書)

shinju-oonuki20060105

粟津潔装丁、『寺山修司評論集 死者の書』(土曜美術社、1985年第2刷)

 

寺山修司(1935-1983)青森県生まれ。詩人、劇作家。早稲田大学中退。在学中、『チェホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。以降、放送劇、映画作品、評論、写真など活動分野は多岐にわたる。67年横尾忠則、東由多加らと鋭意劇実験室「天井桟敷」を設立し代表となる。代表作「奴婢訓」は「ヴィレッジボイス」における80年最優秀外国演劇賞を受賞している。

 

そんな寺山修司の没後2年目に増刷されたのがこの本(写真下)。初版は1974年2月に発行されている。渋谷に天井桟敷館および地下小劇場落成しデザインを粟津潔が担当。寺山と粟津の交友関係が始まる。

 

『寺山修司評論集 死者の書』は、書物の蔭から読経が聞こえてきそうな装丁である。函から、表紙から、見返しから前扉から。書かれている文章は、本文「自殺機械の作り方」からの引用であり、9歳の時に父を亡くし、自らも19歳の時に絶対安静、面会謝絶となる程の病に伏し、死と直面することになる寺山の死についてのつぶやきでもある。

 

粟津が手書きした文字には、書体文字にはない執念が込められており、黒一色のモノトーンでの表現は、この書物と見事にコラボレーションして、寺山と親しかった粟津ならではの装丁に仕上がって見事である。

 

写真上は、やはり粟津潔装丁、寺山修司『長篇叙事詩 地獄篇』普及版である。この本も前掲書同様に、ジャケットから、表紙、見返し、前扉と、粟津の手書きの文字で埋め尽くされている。読もうと思えば読めないでもないが、ここでの文字の使われ方はメッセージを送るための容器ではなく、読まれることを期待しておらず、単なる色のフォルムや地紋として扱われている。

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2006-01-04装丁探索其の百三(私の好きな書体「蒐書日誌4)

shinju-oonuki2006-01-04

紅野敏郎『矢田津世子宛書簡集』(朝日書林、1996年)

 

私はかつて、この本のタイトルに使われている書体を気に入って、かなり沢山の書籍に使ってきた。初めて使用したのはなんという本だったのかは覚えていないが、この本は比較的古いほうなのではないかと思われる。

 

背景の模様は、やっと使えるようになった頃のMacで創ったものである。

 

版元の朝日書林さんは古本屋さんで、今は出版はやっていないが、かつては格調の高い本を沢山出版していた。その殆どを私が装丁をやらせていただいていたので、懐かしい本だ。

 

装丁については、店主の荒川義雄さんは、殆ど口出しをせずに私の好きなようにやらせていただいていたので、今手に取ってみても、私の好きな装丁の本が多い。

 

荒川義雄さんには、古本の手解きも受けて、私が古本を集めるようになったのも、荒川さんや、朝日書林に集まっていた本好きの人達から受けた影響が大きい。

 

大屋幸世『蒐書日誌四』(皓星社、2003年)

 

大屋幸世さんとの出会いも、確か朝日書林だったのではないかと記憶している。大屋先生とは、その後、「近代書誌学協会」を創設するメンバーにさそっていただき、書物に関する多くの知識と知人を得ることが出来た。最初の『蒐書日誌一』は、2001年に刊行されているので、もう5年も前のことになる。

 

最近はあまりこの書体を使わなかったので、この書体を使った本では、一番最近の本になるかもしれない。

 

みても分るように、この書体は手書きではなく版画の文字である。江戸時代の本などを見ていると、このような書体に出会うことが多い。かつては、和本から必要な文字を探し集めていたが、そんな非合理的で手間のかかることをやめ、和本の辞書を探して使えば、便利に使えると思ったのは、大変な思いをして和本の文字を大分利用してからだった。

 

この書体を頻繁に使うようになると、何人もの同業者から、どんな書体を使っているのか教えて欲しい、という電話を沢山受けた。そして、親しい同業者にせがまれるとそっけない態度も取れず、書体の出所を教えてしまった。その頃には、多くの本がこの書体で出回っており、私よりも多作のデザイナーの方が、この書体を使う人として知られるようになってしまったのは、何とも皮肉な話である。

 

背景に使われているオブジェは私が作ったもので、一本の枝を太いほうから順に切って、それを並べて模様にしたものである。下の部分が一番太く、一番上が枝の末端になっている。

 

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