大貫伸樹の書物楽会

2005-12-15装丁探索其の九十七(櫻井書店-15)

室生犀星の装丁論

 

室生は自分の本は自分で装丁する著者自装を標榜する作家の一人である。「装幀が画家に委ねられた時代は、もういい加減に廃められてもいい。装幀に其内容を色や感じで現はすことは事実であるが、其書物の内容や色を知るものは恐らく著者以外に求められない。著者こそは凡ゆる装幀家のなかの装幀を司るべきである。装幀に一見識をもたない著者があるとしたら、それこそ嗤ふべき下凡の作者でなければならぬ。(『天馬の脚』改造社、昭和4年)として、多くの著書を自ら装丁している。

 

そんな犀星も、岸田劉生と出会い『詩集 高麗の花』(新潮社 、大正13年) の装丁をしてもらい、手のひらを返したように「自分は本が出来上がると新潮社に行きその原画を譲り受け、扉絵の花一輪を茶掛けに仕立てて、当時大学を出た高柳君に祝いの意味でおくった」と、悦びを隠さない。

 

あの強気の装丁論はどこへ

 

『魚眠洞随筆』(新樹社、大正14年) の装丁も劉生に託し「これも亦秀れた佳い出来であった。自分は彼の画に派手な冴を見遁さなかったが、その派手な中にも平常も一脈の憂鬱が罩められてあった。自分の著書は平常も自分の気質に従うてじみな内容を盛ってゐるので、却って劉生氏の明快が内容を包んでくれるのに適当であった。」(前掲)とベタ褒めだ。あの時の装丁論はどこへ行ってしまったのか。

 

転向してしまったのか?

 

室生犀星『山鳥集』(櫻井書店、昭和22年)は、そんな装丁にうるさい犀星の本であるが、装丁は著者の室生ではなく、福田平八郎 (1892-1974、明治25-昭和49) が担当し、加藤銃吉が木版に起こしている。

  

『山鳥集』の装丁に関する話が櫻井毅『出版の意気地』に「福田は意に満たないからもう一度描き直したいといって、三度も描き直してくれた。わずかな仕事にも決しておろそかにしないその画家の真摯な芸術家としての思いに感動した櫻井は、その装丁の原画を表装してしばらく壁にかけて眺めていた。」とあり、こんどは櫻井が福田の誠意にぞっこんだったようだ。

 

福田平八郎とは

 

明治25年 大分市生れ。 大分中学(現上野丘高校)中退、京都市立絵画専門学校に入学。 以来60年余に亘り日本画家として活躍。円山四条派の真髄である写生の精神を継承発展させ、写生に基づく象徴主義といわれる画風を築く。現代日本画壇に最高峰の位置を占、帝展や文展、日展などの審査員、芸術院会員及び文化勲章受章者として広く芸術界に活躍。

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